がん家族と私。

がんと闘いながら、人に生る

2015.8.13 お盆の迎え火

入院中

14日の見舞いの時に、昨日はおもしろかったぞって、楽しそうに昨晩の夜の出来事を話してくれた。

 

その前年に姑がなくなって、新盆となるが、翌年の初夏にすい臓がんの4bが見つかり、隠して入院していたので、

新盆は、ひっそりと家族と親戚で迎えようと準備。

昨日の見舞いでそんな新盆の話をしたこともあったのだろうか、

おばけ?夢?をみたらしい。

それもはっきりした夢のようなので、詳細に私に説明してくれる。

 

夜中に亡くなったお母さんがニコニコ笑って迎えに来てくれたようだ。

顔ははっきりわからないがおかあさんだと分かったらしい。

「おれは、まだやることがあるからそれぞれの行くところにいってくれ」と言ったら、スッと消えたそうです。

そして、また、別なご先祖らしいがぞろぞろ迎えに来たそう。

「それぞれの行くところに行ってくれ」と。

後から、たぶん父方の先祖だろうと思うと言っていたが、

皆スッと消えて、ちっとも怖くなかった様子。

 

そんな夢見ない人なのに、面白いこともあるもんだと話してくれた。

それは、夢だったのか、霊だったのか本人もわからないようだが・・・

 

その話を聞いた私は、笑えなかった。

 

2017.8.11 食欲なし

全体に食欲がない。

今朝は、キャベツの千切り少し、肉ひとかけ、焼き豆腐と里芋の煮物、一個ずつ、プラム一個、ピクルス二個

 

術後4ケ月が経ち、診察で栄養が足りてないと言われる。

体力が回復するためにバランス良い食事作りを考えながら、

「がん」になり難い抗酸化力と免疫力が上がる食材を選び、脂肪分と糖質の少なく、消化の良い食事を心がけている。

 

何をしても8割ほぼ残す。

 

楽しんで食事できるようにと何も言わないようにしているのですが、

体を維持できないと思うと、ついもう少しと言ってしまうけど・・・

食べたい時に食べたいものを食べれるだけ!と心して。

 

病気が見つかってからずっと、食事には気を遣う?神経を尖らせてきたと思う。

術後は、食事の制限のハードルが上がったのだが、基本は体力の回復なので、本人の食べたいものを食卓にあげるようにしている。

ただ、そうは、言っても体に良い食材ばかりなので、決められた味になりがちなので、

昼間だけは、本人が自由に食べれるよう…お弁当か外食で好きに食べてもらっている。

 

「今日の夕飯は何がいいの?」と尋ねたら、「カレーがいいな」ですって。

 

あと少し頑張って、がん再発させずに糖尿病を悪化させないために

 

 

2015.4 定年退職 64歳

再雇用は毎年の契約更新で、指示する側からされる側となるが、65歳まで再雇用で働けるのではなかったの。
64歳が会社の規定だったのか。
 
確かに目に見える吸収力、対応力、勿論体力も劣る年齢ではあるが、若い者にはない積み上げた知識もある。
勤務評価も良く、まだ会社に必要とされる人だと思っていたが・・・
 
彼曰く、トップが「俺も辞めるから、おまえもどうだ」と。
 
今は思う
おそらく、病気の為、見た目にも疲れてみえたのだろう。もう無理せずに休んだ方が良いだろうという思いやりある肩たたきだろう。
 
 
身近にいる私は体調に気が付かなかった。
気づけなかった

今日も、すい臓がんで・・・

自民党木村太郎衆議院議員がすい臓がんでお亡くなりになった。52歳だと言う。

お疲れ様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

何よりも避けたいニュースです。

身内に同じ病気を患い闘っている家族がいます。

「がん」という響きに敏感になって、尚且つ「すい臓がん」には神経が尖ってしまいます。

 

がんと診断されると皆死を意識するでしょうが、

その後、たくさんの情報を得てがんに勝てるかもと前向きに闘い、勝ち抜くことも多くなってきています。

すい臓がんと診断されるとより死は身近になります。

今、私は、隣合わせでいるような、生きるの綱渡りをしながらすごしている気持ちです。

 

今まで、確認してきたデータでは「最悪のがん」とすい臓がんを位置付けていたから・・・

 

ステージ4b診断から丸2年が過ぎました。